野球界の二大巨頭として語り継がれる長嶋茂雄さんと王貞治さんについて、「長嶋茂雄と王貞治どっちがすごい」という疑問をお持ちの方もいるのではないでしょうか。彼らの年齢、そして現役時代の比較、さらには二人三脚で築き上げた密接な関係は、現代においても多くの野球ファンの心を捉えて離しません。長嶋茂雄さんがなぜ人気を集めたのか、また王貞治さんの凄さや、彼がメジャーリーグでプレーする可能性があったのか、長嶋茂雄さんのライバルは誰だったのか、そして王貞治さんが憧れた選手はいたのかなど、彼らにまつわる数々の伝説は尽きることがありません。本稿では、ON砲と呼ばれた二人の打順や、彼らが残した記録、記憶を深く掘り下げ、それぞれの偉大さに迫っていきます。
この記事を読むことで「長嶋茂雄 王貞治 どっちがすごい」と検索した読者が具体的に何について理解を深められるか
記事ポイント
- 長嶋茂雄と王貞治のプレースタイルの違いがわかる
- 二人の具体的な成績と記録を把握できる
- ONコンビがどのように築き上げられたかを理解できる
- それぞれの人気の理由や野球界への影響がわかる
長嶋茂雄と王貞治どっちがすごいのか徹底比較

- 王貞治の何が凄いのか?
- 長嶋茂雄のライバルは誰ですか?
- 長嶋茂雄と王貞治の関係性
- 王貞治が憧れた選手は誰ですか?
- 王貞治と長嶋茂雄の年齢差
- ON砲打線の打順とその効果
- 王貞治はメジャーでプレーした?
王貞治の何が凄いのか?
王貞治さんは、一本足打法という独自のスタイルで、プロ野球の歴史に名を刻んだホームラン打者として知られています。シーズン最多55本塁打という記録は、130試合制の当時としては驚異的な数字です。また、一試合4本塁打のタイ記録を保持しており、打者としての圧倒的な破壊力は疑いようもありません。本塁打王15回、打点王13回、MVP9回、首位打者5回、そして2年連続三冠王という輝かしい記録は、彼がどれだけ傑出した打者であったかを物語っています。加えて、ベストナインには18回選出されており、これはプロ野球最多の記録です。
王さんの打撃技術は、単に長打を量産するだけではありませんでした。四死球137という高い出塁能力は、相手投手にどれほどのプレッシャーを与えていたかをうかがわせます。出塁率の高さは、得点に繋がるチャンスを多く生み出し、チームの勝利に貢献する上で非常に大切です。打率.326、ホームラン47本、打点108点といった数字は、打撃における総合力の高さを裏付けています。多くの投手が王さんとの対戦を避けようとしたため、結果として四球が増える傾向にありました。
彼はまた、1952年に第一回国民栄誉賞を受賞しています。これは野球選手として、そして一人の国民としての功績が認められた証です。このように、王貞治さんは打撃における圧倒的な記録保持者であるだけでなく、そのプレースタイルや人間性においても、野球界に多大な影響を与えた偉大な選手であると言えます。
長嶋茂雄のライバルは誰ですか?
長嶋茂雄さんのライバルといえば、主に王貞治さんが挙げられます。二人は読売ジャイアンツで「ON砲」として共に活躍し、記録面においても互いに刺激し合い、高め合う関係を築きました。王貞治さんが長嶋さんの三冠王を5回阻止したことでも知られており、これは両者がどれほど熾烈なタイトル争いを繰り広げていたかを物語っています。打撃面でのライバル関係は、ONコンビの魅力を一層際立たせる要因となりました。
一方で、守備面においては、阪神タイガースの三宅さんがライバルとして名前が挙がっています。長嶋さんは特に三塁手としての守備範囲の広さと、その華麗なプレーが高く評価されていました。守備は時に地味な印象を持たれがちですが、彼の守備は多くのファンを魅了し、野球観戦の醍醐味の一つでもありました。
三宅さんとの守備での比較は、長嶋さんの選手としての多才さを示すものでもあります。このように、長嶋茂雄さんは打撃だけでなく守備においても、ライバルと切磋琢磨することで自らの実力を高めていった選手であると言えるでしょう。
長嶋茂雄と王貞治の関係性
長嶋茂雄さんと王貞治さんの関係は、単なるチームメイトを超えた特別なものでした。「ON砲」として日本のプロ野球界を牽引し、読売ジャイアンツの9年連続日本一という偉業に大きく貢献しました。このコンビは、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースとルー・ゲーリッグのコンビにしばしば比較されるほど、その影響力は計り知れません。
王さんは、ジャイアンツでは長嶋さんが長男で、自身は次男坊のような存在だったと語っています。当時の川上監督は、チームを引き締めるために長嶋さんを叱ることが多く、長嶋さんもそれを理解していたと述べられています。このエピソードは、二人の間に単なる同僚以上の信頼関係があったことを示唆しています。
彼らの間には「いい意味での距離感があった」と王さんは振り返っています。長嶋さんは王さんに対して深く踏み込まず、王さんもまた長嶋さんの世界に入ろうとしませんでした。そのため、野球論を戦わせることもほとんどなかったそうです。しかし、一度だけ王さんが長嶋さんに「お客さんを意識してパフォーマンスをしているんですか」と尋ねたところ、長嶋さんは「そうだよ」と答えたといいます。これには王さんも驚き、「凄いな、勝てないな」と感じたそうです。王さんは「必死にやっているので、試合中はお客さんが眼中にない」と自身を評しており、長嶋さんの常にファンを意識する姿勢に感銘を受けたことがうかがえます。
長嶋さんは「とにかくチャンスに強かった」という特徴がありました。大きく外した高目のボールでもホームランにできる長嶋さんに対し、王さんは甘い球を逃さずに打つタイプでした。王さんは「ピッチャーとしては、ボクのほうが打ち取りやすかったと思います」と述べており、二人の打撃スタイルの違いが明確に見て取れます。このように、彼らは互いのプレースタイルを尊重し、異なるアプローチでチームの勝利に貢献しました。

王貞治が憧れた選手は誰ですか?
提供された情報からは、王貞治さんが特に誰かに憧れていたという具体的な記述はありません。ただし、王さんが幼い頃、長嶋茂雄さんの一茂さんの話によると、「王さんは1番で、父(長嶋さん)は3番。俺は何でも背番号1のものを、寝間着とか王さんのものを(持っていた)。『王さんの1番を付けたい』って言って」と語っています。
これは、王貞治さんが、一茂さんから見て憧れの存在であったことを示唆しています。また、野球ファンとして、巨人軍の「赤バット」で有名な川上哲治さんに憧れていたという記述もあります。王貞治さんが具体的に誰かに憧れていたという情報はありませんが、多くの選手やファンが王貞治さんに憧れていたことは間違いありません。
王貞治と長嶋茂雄の年齢差
王貞治さんと長嶋茂雄さんの間には年齢差があります。長嶋茂雄さんは1936年2月20日生まれで、2025年6月3日時点で89歳です。一方、王貞治さんは1940年5月20日生まれで、2025年6月3日時点で85歳となります。したがって、長嶋茂雄さんが王貞治さんよりも約4歳年上です。
この年齢差は、二人がプロ野球で活躍した時期に若干の違いをもたらしましたが、それでも共に巨人の黄金期を支え、ON砲として並び称される存在となりました。長嶋さんがプロ野球デビューしたのが1958年、王さんが1959年と、ほぼ同時期にプロ入りしているため、年齢差を感じさせないほどの同時期の活躍があったと言えるでしょう。
ON砲打線の打順とその効果
ON砲打線の打順は、巨人のV9時代において、通常は3番に王貞治さん、4番に長嶋茂雄さんが配置されることが多かったとされています。両者の強打がチームの攻撃を強力に牽引しました。この打順は「ON砲」と呼ばれ、多くのファンに親しまれました。
しかし、試合によっては打順を入れ替えることもあり、長嶋さんが3番、王さんが4番を務める「NO砲」という形になることもありました。このONとNOの並び順については、どちらがより効果的だったのかという議論も存在しました。宇佐美徹也氏の著書『ON記録の世界』によると、V9時代の9年間で、王さんは3番に789試合、4番に356試合座っています。一方、長嶋さんは3番に262試合、4番に811試合座っており、長嶋さんが4番を務めるケースが多かったことがわかります。
打順の効果を検証すると、ONの並びの方が1試合平均打点で0.17上回っていました(1.54対1.37)。しかし、本塁打率ではNOの方が0.8(13.8対13.0)高く、勝率でもNOの方が2分1厘(6割8厘対5割8分7厘)上回る結果となっています。これらのデータから、どちらの並びが常に正解だったのかは一概には言えません。ただし、当時の首脳陣は、ON砲の方がより打撃力が高く、勝利に繋がりやすいと考えていたため、ON砲が基本打順として採用されていたという背景があります。
王貞治はメジャーでプレーした?
王貞治さんはメジャーリーグでプレーした経験はありません。彼は、NPB(日本プロ野球)の読売巨人軍一筋でプレーし、数々の記録を打ち立てた日本を代表する野球選手です。通算868本塁打という記録は、ハンク・アーロンのMLB通算本塁打記録を上回るものであり、「世界のホームラン王」として世界的にその名を知られています。
過去には、王貞治さんがメジャーリーグでプレーする可能性についての報道や憶測が何度かありました。例えば、長嶋茂雄さんがメジャー移籍を希望した際、王さんもメジャー挑戦を考えていたという話も存在しました。しかし、最終的には実現することはありませんでした。彼のキャリアは一貫してNPBに捧げられ、そこで伝説的な成績を残しました。今日、大谷翔平選手をはじめとする多くの日本人選手がメジャーリーグで活躍していますが、王貞治さんの時代には、日本人選手がメジャーリーグでプレーする機会は非常に限られていました。
長嶋茂雄と王貞治どっちがすごいか、人気の秘密と伝説

- 長嶋茂雄がなぜ人気だったのか
- 長嶋茂雄の伝説的エピソード
- 生涯成績から見る両者の比較
- 長嶋茂雄と王貞治どっちがすごいか総括
長嶋茂雄がなぜ人気だったのか
長嶋茂雄さんは、「ミスタープロ野球」という愛称で多くのファンに親しまれてきました。彼の人気の理由は、大舞台での勝負強いバッティングと華麗な守備、そして野球を国民的スポーツとして定着させる上で果たした貢献が挙げられます。また、王貞治さんとの「ON砲」コンビとしての活躍も、彼の人気を一層高める要因となりました。
長嶋さんのプレーは、記録だけでなく「記憶」に残るものでした。彼は打率や本塁打数といった数字以上に、ファンの心に残るプレーを数多く見せました。例えば、1959年6月25日の天覧試合では、当時宿敵であった阪神タイガースの村山実投手からサヨナラホームランを放ち、国民の記憶に深く刻まれました。このような劇的な場面での活躍が、彼が「持っている男」と呼ばれる所以です。
また、彼の人間性も人気の大きな理由でした。時にユニークな言動を見せることもありましたが、それが親しみやすさに繋がり、多くのファンから愛される存在となりました。息子の長嶋一茂さんが幼い頃、球場に忘れて帰宅してしまったエピソードや、ファンレターが「東京都大田区田園調布・長嶋茂雄様」だけで届いたという話は、彼の絶大な人気ぶりを物語っています。さらに、スイカの先の部分だけ食べたり、ドラ焼きを半分にはがしてしまったり、バナナを皮ごと折って真ん中だけ食べるといった食べ物にまつわる逸話も、彼のユニークな人柄を伝えるものとして語り継がれています。
長嶋茂雄の伝説的エピソード
長嶋茂雄さんの現役時代から引退後にかけて、数々の伝説的なエピソードが残されています。彼のデビューは、国鉄スワローズの金田正一投手に対して4打席連続4三振という衝撃的なものでした。しかし、ルーキーイヤーには新人王を獲得し、打率.305、29本塁打、92打点という素晴らしい成績を残しました。
天覧試合でのサヨナラホームランは、プロ野球の歴史に残る名場面です。この一打は、多くの人々に野球の魅力を伝え、国民的なスポーツとしての地位を確立するきっかけとなりました。
引退試合でのスピーチ「わが巨人軍は永久に不滅です」は、プロ野球史に語り継がれる名言です。この言葉は、単なる引退の挨拶にとどまらず、長嶋さんの野球への情熱と、巨人軍への深い愛情が込められたものでした。筆者は高校生の頃、この引退試合をテレビで見て、長嶋さんが涙に暮れながら後楽園球場を一周する姿を記憶していると述べています。
長嶋さんは、記録だけでなく「記憶」に残る選手として評されることが多いです。彼の現役時代を知る人は還暦以上になっているため、現在の若い世代には「記録」よりも「記憶」の側面が強調されがちです。しかし、六大学時代から通算本塁打記録を更新するなど、プロ入り前から「記録男」としての顔も持っていました。
プロ入り後も、長嶋さんは当時のプロ野球の先輩たちが築いた通算安打、本塁打、打点の記録をすべて塗り替えるなど、「記録男」であることを証明し続けました。具体的には、2186試合、8094打数、2471安打、444本塁打、1522打点、打率.305という生涯成績を残しました。これは当時のプロ野球において、打率を除くすべての数字で歴代記録を塗り替える偉業です。
生涯成績から見る両者の比較
長嶋茂雄さんと王貞治さんのどちらが「すごい」かは、評価する観点によって異なります。生涯成績で比較すると、王貞治さんの方が圧倒的に優れていると言えるでしょう。しかし、長嶋茂雄さんは高い人気を誇り、その人気の理由には、彼が試合でチャンスに強いイメージを持たれていたことなどが挙げられます。
以下の表に、二人の主な通算成績を比較します。
項目 | 王貞治 | 長嶋茂雄 |
---|---|---|
通算試合出場 | 2831試合 | 2186試合 |
通算安打 | 2786安打 | 2471安打 |
通算打率 | .301 | .305 |
通算本塁打数 | 868本(世界記録) | 444本 |
通算打点 | 2170打点 | 1522打点 |
通算盗塁数 | 84盗塁 | 190盗塁 |
MVP受賞回数 | 9回 | 5回 |
本塁打王 | 15回 | 2回 |
打点王 | 13回 | 5回 |
首位打者 | 5回 | 6回 |
三冠王 | 2回(1973年・1974年) | なし |
ベストナイン | 18回 | 17回 |
この表からもわかるように、本塁打、打点、MVP受賞回数など、多くの主要な打撃タイトルにおいて王貞治さんが長嶋茂雄さんを上回っています。王さんの通算本塁打数868本は、ギネス世界記録にも認定されており、「世界のホームラン王」と称される所以です。一方で、長嶋さんは通算打率、首位打者獲得回数、盗塁数で王さんを上回っています。また、ルーキーイヤーに新人王を獲得し、本塁打王を獲得しているのは長嶋さんだけです。
王さんは典型的なホームランバッターであったため、三振数も長嶋さんより多い傾向にあります。これは、難しい球でも果敢にバットを振っていく彼の打撃スタイルを反映していると言えるでしょう。一方、長嶋さんは守備面でも優れており、特に三塁手としての守備範囲の広さが評価されていました。ゴールデングラブ賞の受賞回数も、王さんが9回に対し、長嶋さんは2回と差があります。
したがって、生涯成績を客観的に見ると、王貞治さんの方が多くの記録を保持していることは明確です。しかし、野球に対する貢献度やファンへの影響力という点では、両者ともに計り知れないものがあります。
長嶋茂雄と王貞治どっちがすごいか総括
長嶋茂雄さんと王貞治さんのどちらが「すごい」かという問いに対する答えは、個人の価値観や評価の基準によって異なります。生涯成績という客観的な数字で見れば、王貞治さんが圧倒的な記録を保持していることは間違いありません。彼は「世界のホームラン王」として、868本の通算本塁打という不滅の記録を打ち立て、数々のタイトルを獲得してきました。
一方、長嶋茂雄さんは「ミスタープロ野球」として、記録以上に多くのファンの「記憶」に残り、野球を国民的スポーツとして定着させる上で多大な貢献をしました。彼の華やかなプレー、勝負強さ、そして人柄は、多くの人々を魅了し続けました。特に、王貞治さんと共に「ON砲」として巨人のV9時代を築き上げたことは、日本のプロ野球史における金字塔です。
結論として、記録の面では王貞治さんが、記憶と人気、そして野球界への影響力という面では長嶋茂雄さんが、それぞれ異なる形で「すごい」と言えます。どちらの選手も、日本のプロ野球の歴史に大きな足跡を残した偉大な存在であり、彼らの存在なくして今日のプロ野球は語れません。
以下に、この記事で解説した重要なポイントや結論をまとめます。
- 王貞治は圧倒的な打撃記録を持つホームラン打者だった
- 長嶋茂雄の主なライバルは王貞治と守備面での三宅だった
- 長嶋茂雄と王貞治は互いを高め合う関係だった
- 王貞治が誰に憧れていたかの具体的な情報は記事内にない
- 王貞治と長嶋茂雄の年齢差は約4歳で長嶋茂雄が年上だった
- ON砲の打順は3番王、4番長嶋が基本だったが、逆も試されていた
- 王貞治はメジャーリーグでプレーした経験はない
- 長嶋茂雄は記録よりも記憶に残るプレースタイルで人気を博した
- 長嶋茂雄には天覧試合でのサヨナラホームランなど多くの伝説的エピソードがある
- 生涯成績では王貞治が本塁打数などで上回るが、長嶋茂雄も高い打率を記録した
- 長嶋茂雄と王貞治は異なる魅力を持つ偉大な選手である
- 記録の王、記憶の長嶋という評価が一般的である
- 二人とも日本のプロ野球に多大な影響を与えた
- ONコンビは野球人気の定着に大きく貢献した
- どちらがすごいかは個人の評価基準による

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